【裏話】友達の家完全倒壊 前編

こんにちはヤサオです。

今回は裏話シリーズということで、YouTube撮影の裏側の出来事、また動画に出来なかった話を載せていこうかと思います。

目次

2024年 1月1日能登半島地震発生

気づけばもうすぐで一年が経とうとしています、早いものですね。

動画に登場するともちゃんは妻の大学時代からの友達でした。
能登の魅力に惹かれ、若者離れの進む能登の活性化をしたいと愛知を離れて能登に移住したのが2023年。

石川県「震度7」の速報を見て、真っ先にともちゃんが浮かんだのは、妻ではなく僕の方でした。(笑)

LINEで連絡を取ってみると、どうやら元旦は愛知県の実家に帰省していたようで、今回の直接的な被災は免れる事ができたようです。(まぁ能登の借家は潰れちゃいましたが、、、あと車も津波に、、、)

実はその帰省の話も背景で色々あったようで、派遣業?として従事していたともちゃんですが、仕事仲間には石川県外から移り住んでいる人が何名か居て、時期だけに帰省を考えていた人も多く、◯日~◯日までAさんが帰省、その日付とズラしてともちゃんが帰省、そしてBさんが帰省といったようなシフトを組んでいたらしく、たまたまともちゃんが帰省していたタイミングでの地震発生となりましたが、帰省タイミング次第では死んでいた可能性もあると思うと怖いですね。想像もしたくないと思います。

現場を見るかぎり、生きて家を出れた保証は微塵もなさそうですからね、、、

なんとも心境が複雑ではありますが、この「地震」だけはいつ発生するか分からないだけに「運」としか言いようがないですよね、、、(なお職場内で命を落とした人はいなかったらしく、それだけは救いでした)

YouTube開始

元々YouTubeを始めたいと思って色々準備をしていたところの今回の友人の被災。
この地震をネタに動画を取る予定はありませんでした。(そもそも不謹慎だと言われそうだし)

動画を見て分かると思いますが、黄色のパーカーはYouTube用にユニフォームとして購入した一品物でございます。
しかし、撮影するにあたって、髪の毛は金髪、伸び放題でワックスでまとまるボリュームを遥かにこえていました。

元々能登に行く予定はなく、1/30に美容院に行き髪の毛をブリーチしたばかりでした。
そうこうしているうちにともちゃんが自宅を見に戻りたいと言い始めたので、日程の調整、色々と準備して実際に能登に行ったのが2/18~2/20。せっかく現地に行くので動画に残さない手はないということで撮影をしながら向かうことになりました。

しかしその準備している間に僕の髪の毛は金髪に染まりきり、容姿を整える時間が無いまま当日を迎えました。

小汚くてすいません!

でも動画を撮影したことで、ニュースには映らない現地の映像を残せたのはとても有意義なものになりました。
それを子供やフォロワーの方に見せることができるのも防災を啓発するうえで重要な資料となってくれています。

そもそもなぜ「僕」と「ともちゃん」の二人!?

なぜともちゃんと一緒に石川に行くのが「妻」でなく「ヤサオ」なのか。
なぜ「妻」は同行しないのか、「浮◯」とか「◯倫」とか大人になると色々勘ぐりたくなりますよね。

答えは簡単で、僕が防災についての知識が多少あるのと、車に何かあった場合(僕の車も、ともちゃんの車も)に対応できるスキルを持っていたので僕は確定です。(元自動車会社勤務)

子供たちを連れて行くわけにもいかず、妻には家に残ってもらうことにしました。

その成果として車は無事?に救えたわけですが、やっぱり大きな災害がおきた場所に向かうということはリスクも伴うわけで、ともちゃん自身も僕に何かあったらどうしようなどと考えてくれていました。

現地到着まで9時間!?

これは道が荒れているとかではなく、単に事故渋滞(しかも結構大きい事故)で車が止まっている時間が長かったのが原因でした。

休憩も逐次取り入れ、とりあえずは当日中の現地入りを目安に移動することに。

↓道中の景色と道の駅? このおにぎりがうめぇんだ!蕎麦と合うのよ!!

しかし動画をみても分かる通り、道中に通った道もかなり複雑で、速度も出せないことから到着が遅れたのは間違いないですけどね。でもそこは出発前から織り込んでいたので想定通りでした。

現地近くにて

現地付近はコンビニも開いていなかったり、開いていてもトイレは使用不可の状態がほとんど。
少し現場から離れているスーパーで差し入れを買うことに。救援物資は水以外は十分にあるらしく、甘いお菓子と大人の嗜みを添え、少しでも心の支えになればと購入。

美味しくいただきました。(笑)

避難所に行く前に潰れた家を見に行くことに

痛々しく崩れた見附島。元の姿を見たことがないが、なんかイルカのような恐竜のような顔に見えるのは僕だけじゃないはず。

・自宅の倒壊(重機で押しのけた後)
・上を向いた釘
・倒壊したブロック塀
・あまりの変化に衝撃を隠しきれないともちゃん

動画では明るく振る舞っているようにも見えるが、当たり前だけどそんなはずもなく。
「私、ここに住んでたんだよね?」「実感が、、、」そう何回も言っていた覚えがあります。

僕の人生でもこんな酷い状況は見たこともありません。
まるで「映画のセット」のような、そんな感覚でした。

※ちなみにこの家一帯は2024/12/9の時点では整地されたようです

避難所にて職場の仲間と再開

僕がお世話になったのは狼煙(のろし)にある避難所でした。
そこにともちゃんの仕事仲間が居るらしく、そこで3日間お世話になることに。

最初は30人ほど?いたらしいですが、多くはここを離れたそうです。
「トイレ問題とかありましたか?」と聞くと、やはり最初は酷かったようで、僕らが行った頃には避難所で寝泊まりする人は数人。自宅に帰って寝る人もいました。

この避難所では夕食のみ人が集まり、朝、昼は各自で用意するといった運用をしており、実に合理的。

写真に移っている「先輩」(女性)はこの避難所に住み込みで家事などの運営を手伝ってくれていました。
自宅は断水しているのでこの避難所のほうが過ごしやすいそうです。
(この方がムードメーカーになっているのを感じました)

「こんな贅沢してるのかよ!」と思うかもしれません。僕の普段の食より贅沢でした。(笑)
でもこれは近所の人が取ってきた(釣ってきた?)アジを調理したものです。

調理は、先程紹介した「先輩」と、この避難所を利用している方の奥さんが当番制?で調理場に立っていました。
僕も後日調理を手伝いましたが、何と言っても水の量が足りない。

お皿は洗うと水がもったいないので、紙皿、紙コップ、割り箸と定石通りの運用でした。

ここでみんなで談笑しながら、情報交換だったり今後どうするかといった話をして、時間が来たら家に戻っていくというルーティンですね。

ただ、これから言えるのは「地の利」というものは確実にあるということです。
海の近くでは海産物、畑があれば野菜。そういった周囲の環境を活かして生活をするのは良いことですね。

そういう意味では都会での被災はやはりキビシイ展開になりそうです。

実はここ、避難所ではなかった!?

どうやら狼煙の避難所として使っている建屋。
避難所ではないらしい! えっ!?

元々は寄合所(集会所的な?)場所だったらしく、指定避難所では無かったそう。

これについてはこれを見てくれた全員が覚えておいて欲しいことで、

指定避難所(ようは学校とか)は大人数で溢れかえることが予想される。
しかし、こういった指定避難所以外でも人数が集まれば「避難所」として認めてもらえる可能性が高い。

つまりは、支援をする側管理をする側(行政)が把握できれば良いわけで、
最小単位で言えば「各家」、しかしこれでは支援する側は物資を持って全ての家庭を回らなければ行けないので、もちろんムリな話である。

それを少し集合させて、「各家」以上、「指定避難所」以下の集合体であれば、むしろ都合が良いことも出てくる。流石に全員合わせても10人以下とかだと支援する側の労力が増えるが、人が溢れかえった避難所(学校)で不平不満が漏れる場所より、多少苦労するがストレスが少ない、管理がしやすい環境のほうが心も体も負担が減るのは間違いない。

良い意味での「分散」、分散することで指定避難所から人が減りトラブルも少なくなる。
小規模の避難所にすることで管理が容易になる。身近な同居人として過ごすことで密なコミュニケーションが取れる。

それが今回の狼煙のような「みんな顔見知り」だった場合、シェアハウスのようなアットホームな避難所を作ることも可能なのだと勉強になった。

「創る」(つくる)

恐らく多くのものを失うであろう「南海トラフ巨大地震」、結局最後は「人」との同調であり、これは日本人の得意分野でもある。(近年では悪い意味でも捉えられるが)

そう思えば「未曾有の災害」は日本人にとっては乗り越えることは他国の人よりは容易なのかもしれないですね。

初日から学ぶことの多い貴重な体験でした。

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