【裏話】友達の家完全倒壊 中編

今回は主に滞在二日目の内容になります。

目次

朝イチ

とてもキレイな朝焼けでした。
避難所の水を使うのも忍びなかったため、自前の水を利用して身支度。
朝からキンキンに冷えた水で顔を洗うのはしんどかったです、、、被災するとこれが日常になっちゃうんですね。
蛇口を捻ればお湯が出ることに感謝感謝です。

水を沸かしてコーヒーを一杯。
やっぱりキャンプグッズはあると便利ですね、コンパクトで機動力が違います。

ただ避難所の中はストーブが使えて暖かかったです。
ストーブの上にヤカンを置いて湯を沸かしていました。我が家にストーブはありませんが、寒い地域の人は停電しても使えるストーブは持っておいたほうがいいですね。

現場にて本格的に作業

海岸沿いの様子。
ニュースでは4m隆起した漁港があるが、ここの海岸でも隆起が見られました。

近隣の様子。
ともちゃんの家だけではなく、周囲の地域もこんな感じ。本当に被害は全域といっても過言でないぐらい、ほとんどの家がこのような有り様になっていました。

何がなんだか、、、
戦後と何も変わらない。

そして改めて自分が住んでいた家へ。

ともちゃんが立っている少し前が「居間」。普段はここでテレビを見ていたそうです。
「私ここに居たんだよね?、、、」

動揺というか、パニックというか。

もし帰省していなかったら、、、

鍵が見つかってよかった

今回のミッションは、回収できるものは回収する

これから何を進めるにしても、車での移動が必要、大事な書類もこの瓦礫の中。

記憶を頼りに「多分普段持ち歩いているポーチの中に車の鍵もあるはず」と居間周辺を探索し、瓦礫を周囲に放り投げながら探し続けました。

動画の通り、車の鍵は無事に見つける事ができたわけですが、
後に大家さんと「たまたま」合流することができ、大家さんが見つけてくれたものは別途回収してくれていたらしく、重要書類などもいくつか回収することができました。ホント感謝です。

この珠洲市内で自分の復興も移動も全ての作業が車がないと話になりません
田舎あるあるですよね。

車の鍵が無かった場合、車をレッカーして運ぶことになりかねませんでしたが、
そもそも車の鍵の複製はできるのか?車をレッカーするにも、ここまでレッカー車は入ってこれるのか、この個人的な件に動いてくれる人は居るのかなど、いろんな問題があったため、この車の鍵探しは最重要案件でした。

いや、本当に見つかって良かった。

つかの間の休息

不謹慎と思われるかもしれないが、皆さん、この浮き上がったマンホール見たことありませんか?
どのメディアでも取り上げていた、(恐らく)一番飛び出ているマンホール。
ともちゃんの家はこのマンホールから徒歩ゼロ分

コーヒーで一服、昼食はレスキューフーズのビーフカレーを頂きました。
確認を怠り、出来上がるのに30分かかりました。皆さんも初めて食べる非常食は作り方、出来上がり時間をしっかり確認しておきましょうね(笑)

いや、本当に美味かった、、、

車を移動

一服したあと、僕ができる限りの確認(エンジン、ブレーキ系)をしたのち、車を運転してディーラーに持っていくことに。
※危険なので皆さんは絶対に真似しないように!

どれほど距離があったか覚えていませんが、無事ディーラーに到着。
向こうもこの地震で被災した車を沢山預かっており、基本津波で水没した車は廃車とのこと。

僕も分かってはいましたが、ただで廃車にするのも勿体ないので、僕の会社の元上司に連絡を入れて有効活用できないかなどを相談してみましたが、ともちゃんが車を必要としている現状と、新しく車を買ってもいつ届くか分からない。また被災者に向けた「車両購入の補助金」などの話もまだまとまっていなかったため、ディーラーに処分をお願いせずにこのまま乗り続けることにしました。

僕からともちゃん起こり得るリスクを散々説明しましたが、ともちゃんの意思と車が絶対に必要な状況を考え、乗り続ける選択をしました。
だって車がないと荷物も運べない、必要な申請も買い物もできない。生活していけないですからね。

観光

ミッションの9割を完了した僕達は、水没した車を避難所に停め、観光することに。
こんなときに観光?なんて思うかもしれないですけど、ともちゃんが移住を決めたのはこういった素敵なところを紹介して、能登に興味を持ってほしい。

だからこの合間の観光だって、ともちゃんからしたら僕に興味を持ってもらう良いきっかけでもあるんですよね。

長い傾斜を歩いて登り、灯台を見てきました。どうせなら笑顔の方の写真を載せよう!

1月1日、ここから津波が来るのを眺めていた人が大勢いたそうです。
これから何が起こるのか、みんな不安だったでしょう。

天候が良くないのと、時間も時間だったので数分の滞在でしたが、「見附島(みつけじま)、禄剛埼灯台(ろっこうさきとうだい)」と能登の景観に少しでも触れることができて満足です!

そして避難所へ帰宅。

夕食

この日の夕食は買ってきたお肉ですき焼きでした。
非常食は沢山あるのですが、やはり皆さん普通の生活を送りたいらしく、身銭を切ってこういった普段食べるような食事を取り入れていました。

被災していない身から考えると「贅沢な!」なんて思うかもしれませんが、こういったときこそ食事ぐらい良いものを食べてほしい、非常食ばかりでは飽きるし栄養も偏るし、心も荒んでしまいそうですね。
身銭払って好きなもの買って食べたっていけないことは何も無いんです!いけないのは周りの偏見の方ですね。

この日は僕も料理を手伝いました。この日は僕含めて6人ぐらいが調理を担当しました。
水が限られた中での調理は本当に気を使います。特に衛生面では気を使いました。

雨天のおかげで雨水がたまたま貯めてありましたが、衛生面を考えると全てのものに雨水を使うわけにもいかず、洗剤やアルコールで調理器具をしっかりと除菌したり、調理場自体の衛生も守る必要がありました。

やはりこういった環境では
・ポリタンク
・携帯浄水器
・タライやバケツ複数

こういったアイテムが有るだけでかなり環境が改善されると思います。
皆さんも一家に一つ以上は必ず備えておきましょう。

歓談

この日は遅くまで人が残り、仕事の今後について話をしていました。(酒もあり、、、)
こうやって書くと軽く思われてしまうかもしれませんが、やはり事態は深刻です。

廃業や予算、補助といった言葉が飛び交いますが、政府の行動の遅さもあり、思うように進まない。
水が出ないといった問題から、家のことも仕事のことも家族のことも考えないといけない。

いくら酒が入っていようが、笑顔だったり笑えるってことはとても大切なことだと思いました。
こういうところはお酒の良い面かなと思います。(暴れない前提ですけど)

寝室

寝室とはいうものの、大広間です。
左のテントにはゲスト(ともちゃん)、右のテントには「先輩」が被災後ずっとここで寝泊まりしています。

男はこの畳の上に雑魚寝です。
このストーブのお陰で夜は暖かく眠ることができました。
しかも体育館などと違って、畳の部屋なので床の冷たさを感じることもなく、指定避難所よりもここで生活するほうが間違いなく快適だと思います。

置いてあった10セット以上の布団、毛布は各家から持ち寄ったものでした。
僕は自前のキャンプマット、シュラフ、インナーシュラフ、エアーピロー(枕)、後は着ていたフリースを上からかけて寝てました。

この日この部屋で寝たのは全員4人ぐらいだったかな?
イビキうるさかったらすいません、、、

「全て避難所に持って行かなきゃいけない」という考えを持っている人は、被災した後必要なものを取りに帰る
この考えは持っておいたほうがよいかと思います。(特に小さい子供の居る方)

これにて二日目は終了。
疲れと安堵からか爆睡でした、、、

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